愚痴日記

すこしだけ真面目

「配慮の原理」について

人間関係を円滑にするには「配慮の原理」が必要だと思う。つまり互いが互いに配慮して出来る限り行動することなんだけど、これじゃあ漠然としているから例を出す。

AがBに何かをしてあげたときに、AはBに感謝し、逆にBはAに"感謝しろ"と言うべきでは無いと言うことだ。

感謝って言われてやるものではないし、"感謝しろ"と言うものでも無い。でもAが感謝しなかったらBはちょっと嫌な気になるかもしれないし、だからといってBがAに"感謝しろ"とか言ったらそれこそ感謝する気持ちも萎えるだろう。

そこで互いを配慮し、先んじて行動すると言うことが重要になると思う。

別に感謝に限らずこう言うことって生きてればよくあることだと思うし、互いが積極的に配慮できたら素敵な社会だと思う。まあ国家レベルじゃそうはいかないけど、個人レベルなら実現できるだろうし。

原理と言っても僕が適当に名付けただけだし、多分こう言う考えで生きてる人はたくさんいるからおこがましいのかもしれない。まあいづれにせよ、こうやって考える人が増えたらいいなあ。

誰でもいいから付き合いたい

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誰でもいいから付き合いたい。まあ最近はこれある。昔は性欲的な問題だったけど、最近は単純に恋人という人間関係のあり方に興味がある。

友人に「告られて拒否るって意味わかんなくね」って言ったら全く同意が得られなかった。でも僕はよくわからない。人間関係とはかなり可変的なものだと思うからだ。好きだった人が嫌いになることもあれば、友だちだった人がそうでなくなることもある。

だから告られて恋人という人間関係になったあとに互いの感情がどうなるかはわからないと思う。嫌いだったのに好かれてて意外と好きになることもあるかも知れんし、関心なかったのに意外と面白い面が見つかるかもしれない。結婚という法的契約とは違うから、嫌になったら切ればいいと思うし。

だから誰でもいいから付き合いたいなあ、なんて最近は思う。

 

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生き急ぐ人

信号待ちの交差点、高齢の方が車が途切れるのは今か今かと車道に半分乗り出して待っていた。青信号になったらすぐに渡りたかったのだろうか、何か用事があったのだろうか。そんなに急いでいても、危ない場所で待っていて事故でも起きたら元も子もないだろうにと思う。

でも僕らだって意味もなく急ぐことはある。たとえば特に急いだ用事がなかったとしても電車一本逃したら損した気分になるだろう、十分後に次の電車は来るとしても。

大した損じゃないのに大きな損に感じてしまうのは資本主義のせいなのだろうか。なんか悲しい。

京大経済特色入試の行く末

先日、今年度の特色入試に合格した後輩と会って話を聞く機会があった。その時に初年度とは状況が変わって来ているという話を聞いたので、特色入試がどうなるのか自分なりに考えたことを記事にする。なお始めに言っておくと筆者の立場は現状維持、つまり経済学部の方針を完全に支持している。

まず結論から言えば、今まで通りにこの制度を続けると、特色入試の"特色"は明らかに形骸化するであろう。当たり前っちゃ当たり前なのかもしれないが、京大経済学部はどう考えても従来型入試とは全く違う人材を取ろうという気概がないようである。そもそも特色入試という仕組み自体、受験をしたことがないような国民の"民意"が従来型入試ではダメだという風評に流されて、大学側が仕方なく作っているものであると僕は考えている(少なくとも経済学部においては)。だから気概もないし、とりあえず体裁を保っているだけのものであることは明らかなのである。

さらに根拠を持たせよう。まず他学部においてはtwitterなどでも話題のように厳しい受験資格制限と明らかに学部に特化した試験を行っている。例えば医学部では出願資格に以下のものが挙げられている。

次のいずれかに該当することが必要です。

  1. 高等学校又は中等教育学校を平成30年3月卒業見込みの者
  2. 国内の国際バカロレア認定校(DP)を平成29年4月から平成30年3月までに卒業又は卒業見込みの者
  3. 国際科学オリンピック(数学、物理、化学、生物)日本代表として世界大会に出場した者で、高等学校又は中等教育学校平成31年3月卒業見込みの者
  4. 国際科学オリンピック(数学、物理、化学、生物)日本代表として世界大会に出場した者で、国内の国際バカロレア認定校(DP)を平成30年4月から平成31年3月までに卒業見込みの者
  5. 文部科学大臣が高等学校の課程と同等の課程又は相当する課程を有するものとして認定又は指定した在外教育施設の当該課程を平成29年4月から平成30年3月までに修了又は修了見込みの者

 このような基準を満たす高校生が日本にはどれほどいるのだろうかと考えたら明らかに狭き門であることがわかる。*1他にも理学部の問題は高校生離れした数学力がないと突破できないことで話題になっている。

(補足・あとから気付いたが、この条件はいづれかだから昔よりはハードルが低いようだ。だがそのような実績のある者が優位であることは確かだから、依然として難易度は高いだろう。ちなみに経済学部の場合は事前提出書類の評価割合は低いので、やはり論文次第という点では他学部と差があるのと思われる)

一方の経済学部は学びの設計書などの提出書類を出し、センター試験と小論文を受ける"だけ"で合格できる。なお小論文は国語力が問われるものが4問、いわゆる小論文的な自分の考えを答えさせる問題が1問という構成になっている。つまり経済学の能力が問われているわけではないのである。本当に経済学を志すものを取りたいのであれば、大学の試験で出題されるようなバリバリの数学の問題を出せば良いのに、わざわざ国語の問題を出しているのを見る限り、従来型入試と相違ない人材を求めていることがわかる。

以上のことを踏まえれば、経済学部における特色入試は徐々に一般入試に埋れて行くであろうし、特色のある人材を取ろうなどという名目はどう考えても実現されないであろう。だがそれが学部側の考えだろうし、私はそれを歓迎する。特色入試の日程は国立の前期日程より前であり、後期試験がなくなりつつある今後は後期試験の代わりに受験回数を増やすために受ける人も増えるのではなかろうか。そもそも国語力が問われるだけで、一般入試の勉強に対した負担を与えないからである。そうすると大学側にはメリットがある。それは従来は東大に行こうとしていた人材を事前に確保できることである。特色入試の出願要綱には以下のようにある。

次のすべての要件を満たすこととします。

  1. 本学経済学部での学びを強く志望し、合格した場合は必ず入学することを確約する者
  2. 平成30年度大学入試センター試験において、指定した教科・科目を受験する者

もし特色入試で合格したら、前期試験を受けることはできない。*2つまり従来では東大に流れていた優秀な人材を京大が確保することができるというわけである。

 以上まとめると、特色入試は特色を持った人材を確保するためではなく、優秀な人材の囲い込みに使われるようになるだろう。これは全ての人間にとってwin-winである。学部側にとっては"特色"のある人材という名目で優秀な人間を確保できる。受験生にとっては受験機会を増やすことで浪人というリスクを軽減できる。社会にとっては(名目上)受験システムが変わったと納得することができる。こう考えると、やはり大学教授というのは流石だなと思う。実によくできたシステムである。

 

*1:ただこのような人間が「医学」を目指すべきであるかと言われる疑問だが

*2:正確には受けることはできるが、結果は0点になる

高学歴なのに仕事ができない

「高学歴なのに仕事ができない」論の仮説を考えてみた

 

1、学歴のバイアス

 一般的に言われてるやつ。高学歴=仕事できるという認識のせいで、普通の人以上にできたとしても期待を上回らないと仕事ができないとみなされてしまう。

 

2、パターン化に時間がかかっている

特に単純作業の場合はパターンをつかむことで大幅に仕事量を短縮できる。いわゆる頭のいい人(高学歴と同じ定義ではない)ほどパターン化がうまいし、そうすることに努力を傾けがちである。パターン化しない場合に比べて長期で見るとメリットが大きいが、短期的には試行錯誤が必要で成果が出にくい

 

3、認知の間違え①

短期的な成果としてでないところで頑張っているので、評価されない。もちろん他人からはそのような努力をしているところは見えないから、仕事ができない人扱いになる。

 

4、認知の間違え②

高学歴なのに仕事ができないと思っている人をAとし、高学歴の人をBとする。Bの方が絶対的な仕事量が多いが、Aがそれを認知できないために仕事ができないように感じる。対してBの方が認知力が高いのでAがそこそこやっているように感じる。

 

5、プレッシャー

高学歴だから仕事出るっしょみたいなプレッシャーのせいでミスが増えて、成果が上がらない。

 

6、本当に仕事ができない

割愛。ただ「仕事ができない」の定義って難しいと思う(今更かよ)。

 

結論

有能になりたいね