愚痴日記

愚痴は言わない

猫箱さんの「思想背景」に対しての感想1〜心象強度〜

この記事は、以下のブログ記事へのコメントというか、自分が思ったことを述べるものです。また以下の記事内の引用は断りのない限り、全て以下の記事から引用させてもらいます。長くなるのが嫌なので、一つずつ記事にしていきます。

eroge-pc.hatenablog.jp

 

1心象強度

心象強度とは、外側の影響(=他者・承認・否定)に振り回されない心の度合いを言い表したものです。心象強度が高ければ、友達がいるかいない、集団排斥、他者に非難されようともあまり傷つきません。

自分と他人という境界は実に曖昧なものであると大学の授業で知りました。自分が常にただ"自分"であることはあり得ない、自分というのは他人から影響を受け続けているからだ、という考え方です。ではそれでもなお心象強度が強い人間とはなんなのだろうか、どうしたら強くなれるのだろうか、と思います。

僕自身は心象強度が弱い人間だと常々感じています。他人に流されやすいというか他人の目をどうしても気にしてしまいます。幼少期にはぶられ続けた(少なくとも僕はそう認識している)経験から本能的に仲間はずれにならないような選択をしてしまうのだと思います。Twitterでフォロワーを気にせず自分の好き勝手にツイートをするという経験はそれを克服するきっかけになるかと思いましたがあまり効果はありませんでした。結局のところどうしてもフォロワーを気にしてしまう僕がどこかにいるのです。

なぜなら自分の内側に価値を置くことが出来る人間は、外側にまったく期待していませんから。自分自身がどう思うかどう感じるかが重要で、肝要なわけです。

外界に期待をするから、自分の内側に価値を置くことのできないと言われればそうかもしれません。確かに自分は今まで様々な人に頼って生きてきたと思います。逆境を一人で乗り越えた経験とかないですしね。外界に期待しな(絶望している?)くとも一人で生きれる自身こそが心象強度を強くするのかもしれません。

しかし生きるということの最終的な目標を自分一人で達成することはできないのではないかとも同時に思います。例えば本を読んで感動したとき、ああ素晴らしかったと自分の中で思うと同時に、この感動を誰かに伝えたいと考えるでしょう。人間は誰かと共感することで、感情を増幅させますから至極当然の行動です。もちろん心象強度の強い人間は自分の中で反芻することに意味を感じるのかもしれないですが、伝えたいという思いがない人は相当珍しいと思います。伝えたいという思いがなかったとしても、その本に感動するということは、その本から影響を受けているわけですから結局は同じことで、他者がいるから成り立っている思考だと思います。生きることはこの連続で、何かによって他者から影響を受けたり、誰かに伝えることで他者に影響を与えるとともに、自分の存在を確かめることだと思います。そういう観点からすると心象強度が強い人と雖も、実は限定的というか、むしろ限定的でなければおかしいように思うのです。