偉い人
偉い人:自分に向かって生きている人
自分も例外ではなく多くの人は他人を向いて生きている。
他人からどう見られるかとか、他人と比べて自分がどうかとか。
全てでないのはもちろんだけどボランティアとかそういう人もいると思う。
ツイッターもその典型(というかふぁぼって機能はダイレクトにそれ)。
あと学歴とか、いわゆるキャリアも。((法的な)契約を有利にするためならまだいいと思うけど、Twitterで自慢するやつとか(俺か))
そういう生き方は結局他人と比べてしまって自分が不幸になる。
比較で勝つためには自分があるコミュニティ(広くなれば世界中で)トップにいないといけなくなる。でもそれはほとんどありえない。
偉い人は自分を向いている。(と僕は思う)
自分が正しいと思うか(もちろんこのためには自分に軸が必要。軸は経験と想像と対話で養われると思う)、
自分が成長できるか(自分が成長したことを他人にアピールする(マウントをとる)ためではなく)、
とかそういう風に考えて生きてる人。
そういう人は他人へ感じる罪はない。自分が自分を正しいと評価できるか否かということだから。
神という存在はそれができない多くの人にとって救いのある存在だ。
何が正しくて何が間違っているのかを明らかにしてくれるから。
そして自分が正しいかを評価してくれるから。
資本主義というのは競争だから(もちろん資本主義でなくても競争はあるが)、何も考えずに生きてると他人に向かう人生になりがちだ。
だからこそ神がある社会で根付いたのかもしれない。
でも日本人には神がいないから、偉い人になるには常に他人に向かないよう注意して生きなければならない。
そうなったらようやく大人になれるのかもな、なんて思ったのであります。