愚痴日記

すこしだけ真面目

今年度の抱負

突き抜けるような快晴の中、広大な京都御所を歩いていたら、今年度の抱負でも思いついたので書き留めておきます。

 

今年度の抱負は「記号に惑わされないこと」です。今年度というか、昨年度から継続的に考えていたことなんですけどね。

記号に惑わされないというのは、言い換えれば自分の中の思い込みやその背景にある社会の固定観念に囚われないということです。

 

たとえば一般論として「恋人ができたら幸せだ」という例を考えてみます。おそらく、"恋人がいないAさんよりいるBさんのが幸せそうである、同様にいないCさんよりいるDさんのほうが幸せそうである。だから(自分にとっても)いるほうが幸せである"と考えられているのではないでしょうか。またはこんなに幸せなことがあると企業の宣伝に乗せられているのではないでしょうか。

しかし恋人ができたら幸せかどうかはそうなってからしかわかりません。いやむしろ幸せになれるかどうかは自分自身の行動にかかっいると思います。恋人がいても自分が何もしなかったら何も進みはしないでしょう。幸せになれるか否かは自らが決めることです。結婚だって就職だってなんだって同じです。

 

こういう固定観念は世の中にいくらでも存在していて、人生における自らの意思を揺さぶり捻じ曲げようとしてくるのです。だから記号化されたものをただ受け入れるのではなく、それが適切な範囲で行われているのかを自ら再検証して、必要なものは参考にし、そうでないものは排除するという取捨選択が必要なのです。

自由であるということは他人に縛られないということですが、それは物理的な話だけではありません。広告を見て消費行動が無意識的に変えられるように、他人からの影響というのは少なからず受けているものです。だから本当に自由に生きるためには、そのことを自覚し、自らが他人の影響を受け入れるか否かを判断する必要があると思います。そういう意味では、記号に惑わされずに生きるというのは、まさに自由に生きるという行為そのものです。

 

ただ他人に言われたとおりに生きていくのは楽です。でも(僕にとっては)楽しくはありません。楽しく生きるためには自分の人生を自分でコントロールしている感覚が必要です。コントロールすることはつまり自己判断であり(もちろん自己責任でもある)、その先にこそ自由があります。だから記号に惑わされないように日々気をつけようとおもうのです。

就活で気付くラポール形成の難しさについて

就活というのは人対人の関係のなかで合否が決まるという点で、いままでの入試とは大きく異なっている。つまりもっとも大切なことは、勉強よりも面接官なり先輩社員なりとのラポール形成である。たしかに業界について知っていることは重要かもしれないが、新卒の場合はポテンシャル採用とも言われるように、その人の潜在的な力とそれが顕在化している部分(≒コミュニケーション能力)が見られていると思われる。

言い方が少し難解になってしまったかも知れないが、要は、必要なものは多少の業界知識と社員に気に入ってもらえるかである、ということだ。

 

自身のラポール形成能力は周囲より劣っているのではないかと思ってしまうことがよくある。

とある会社説明会で、先輩社員(女)と自分のほか数名の座談会が行われた。その座談会は3ターム目であり、その前のタームでだいたい会社についてつかめてきたので質問事項なども考えていた。自分の中ではかなり自信のある質問だったし、ほんとに知りたいことで、なおかつ聞かれたい質問なのではないかと考えていた。

説明が終わりQAタイムになり、温めていた質問をぶつけ、それなりの回答を返してもらえた。当然といえば当然だが、このようなタイミングでの質問というのは、記者会見のような場とは違う。知りたいことを聞くのが目的だが、就活生と社員という関係性のなかで行われることを踏まえなければならない。なるべくラポール形成ができるような質問の言いかたやリアクションを考えるべきだ(と思っている)。今回もまあまあ適切な質問をし、まあまあ適切なリアクションを取ったと思っていた。

最終タームなので質問後は解散となる。ちょうど最後の質問を終え、帰り支度をしていたとき、一人の女子学生が社員に向かってこういった。「わたし、名字おなじなんですよ。すごい偶然ですよね」。たしかに珍しい名字だったようで社員も驚いてリアクションをしていた。そしてそのまま何か明るく会話をはじめた。

どう考えてもその社員とのラポール形成は私よりも彼女のほうが成功しているではないか。なぜ仕事の話を興味持って聞いているほうよりも、「名字がおなじなんですよ」のほうが適切なのだろうか。自分にはそんな”気の利いた”話題なんて出せるわけがなかった。もし自分が社員で、学生に「名字がおなじなんですよ」と言われても、「はあそうですか」としか思わなかっただろうから。でもこっちのほうが"気が利いている"とこはなんとなくわかる。何回考えてもわからない、どうしたらラポール形成に適切な話題が出せるのか、反応ができるのか。

大学生になって"くだらない"話ができるようになったし、そのような行動をする意味を理解できるようになったと思っていたが、まだまだ一般人に擬態するのは難しいみたいだと感じる。だって彼女はおそらく、そんなことを微塵も考えずに「名字がおなじなんですよ」と話しかけたはずだからだ。これは訓練がたりないのか、それとも性格の問題なのかよくわからない。それでもなんとなく生きていくしかないんだろうな。

関係について

愛されるというのは難しいことだと思う。どうしたら「愛されている」と言えるかの定義を曖昧にしたとしても、他人から相手にしてもらえるっていうことはそもそも努力がいるものなのだ。

人間関係というのは互恵的でなければならないし、そうでないと消滅する。全く話が合わない人と友達になるのが難しいように、友達という関係も「話が合う」とか「一緒にいて楽しい」とかそういうのが根底にある。

恋愛も同じだと思う。遺伝子的な相性でフェロモンのようなものがあるという説もあるが、基本的には人間関係の延長だ。愛してほしいなら愛してもらえるように何かを相手に与えなくてはならない。それは物質的にはプレゼントであり、非物質的には顔の良さとか清潔感とか、まあ色々あると思う。

女の場合は体という、対価としてあまりにもわかりやすいものを持っているから逆に不幸なのかもしれない。体目的なのかそうじゃないのか見分ける目が必要になるし、なによりそのわかりやすい対価に甘んじて他に価値を作ろうとしなくなってしまう可能性がおおきくなるからだ。体目的の男が嫌だと言うなら、自分に体以外の価値を見出さなければならないと思うのだが…

 

人間関係に永遠はないと思っている。個人は、それぞれが思考し欲を持っているから個人なのだ。本質的にはそれぞれが欲したように動くのが当然である。共同体の中で生きる必要がなくなった時代ではなおさらこの風潮は強まるだろう。そういう社会における人間関係はより移ろいやすい。今この瞬間に永遠の関係と思えても、それは個人の欲望によって、または社会の変遷によって移ろってしまうのだ。永遠の関係というのは当人たちの意識と努力によってなしうるものだ。なりゆきで永遠になるわけではないのだ。とても水くさい考えかもしれないが、そういう前提に経てばこそ、永遠にするための努力ができるようになると信じている。

一週間ランニングした結果wwww

ここ一週間くらい、ほぼ毎日鴨川ランニングしてました。痩せないとなって気持ちと三回目の夏も漫然と過ごすわけにはいかないという焦りみたいなものを感じて始めたのですが、今の所モチベもたもてています。

今回はどんな感じで走っているかとか、感想とかについて書いていきたいと思います。

 

1、服装・装備について

夏なので服装は半袖短パンです。ユニクロのTシャツが速乾性がありいい感じです。

ユニクロ|Tシャツ(5分袖・半袖)|MEN(メンズ)|公式オンラインストア(通販サイト) (これのどれか。よくわかんないけど)

靴は去年の夏に仙台のABCで買ったナイキのランニングシューズです。型番とかは知らん。走るなら軽い靴がいいと思います。

あとはbluetoothイヤホン・スマホスマホをいれるポーチ・家の鍵です。

 

まずポーチですが、これです。どっかのブログで紹介されてたのでポチりました。結構いいです。汗をはじく素材なので汚れにくいし、鍵やスマホといった最低限のものをいれるのにも最適です。さらに有線イヤホン用の穴までついてます。腰紐の調整もしやすいです。

大きさは6.3インチの僕のスマホ(Zenfone5Z)でも入るのでたいていのスマホなら入ります。ただペットボトルとか厚みのあるものは入りません。

 

bluetoothイヤホンはこれ。amazonで一番うれてるやつですね。無線イヤホンは初めてなのでよくわかりませんが、音質とか電池のもちとか悪くないんじゃないかな。満足してます。ただこういう系のイヤホン全般の特徴として走ってると肌とあたってゴワゴワしたノイズがします。慣れれば気にならないけど、嫌な人はスポーツモデルのwalkmanとか買えばいいとおもいます。

 

2、記録について

走るなら記録をつけたほうが絶対いいです。可視化することですね。というわけで記録の付け方ですが文明の利器を使いましょう。スマホです。アプリを2つ入れましょう

 

www.nike.com

一つ目はこれです。定番ですね。走るときにGPSを使って自動で記録してくれます。リアルタイムの速度を表示してくれたりもするので便利です。一番うれしい機能は一キロごとに時間と速度を音声で案内してくれます。これで結構がんばれます。

 

www.google.com

二つ目はこれです。上記のNike run clubと連携して、一日どれくらいのカロリー消費したかとかも教えてくれます。あと勝手に歩いた距離とかを計測してくれるので便利です。もちろんgoogleマテリアルデザインが素晴らしいことは言うまでもありません。

 

3、モチベ管理について

 モチベには二種類あります。一つは毎日走りに行くモチベ、もう一つは走りきる(歩かない)モチベです。

まず前者に関してですが、ツイッターを活用してます。僕はいわゆるツイ廃なので結構有効です。ツイッターに食べたもの、飲んだもの、走った記録を残しています。単純に人に見てもらってる感もそうですが、自分で見ても頑張ってるなあと思えるのでよいです。走ってる場所とか出しちゃってるんで、リアルの知り合いの方に限りますが、よかったらフォローしてください。

twitter.com

あと無理はしないほうがいいと思ってやってます。毎日10kmとかはじめから走るのは無理です。だから短い距離で徐々に伸ばしていこうと考えてます。今はたった3kmですが、はじめから弛れてしまっては元も子もないのでまあいいかと思ってます。なるべく速く走る→距離をのばす→速く走るを交互に繰り返していく作戦です。

 

後者のモチベですが、これは二つあります。一つは距離を明確にすることです。鴨川の場合は橋間のだいたいの距離を覚えておけば、自分がいま何キロ走ったからあとこれだけ走ればいいとかわかりやすいです。距離なんてわからんって人は先程紹介したNike run clubの音声案内がいいモチベになります。

もう一つは音楽です。もちろんただ流しているだけでもいいですが、できれば音楽のテンポに合わせて走れると、一定の速度を保ちやすくて良い感じです。僕はBPM85-90くらいが負荷的に最適だと思ったので、そのテンポの音楽でプレイリストを作りランダム再生しながら走っています。オタクなのでボカロ・アニソンばっかですが Clarisのborderとかコネクトとか、ハレ晴レユカイとかがちょうどいいです。人それぞれなので走って決めるのが良いかと思います。

 

4、変化について

走って変化があったのか、という問に答えることはモチベの面で重要です。

まず身体面に関してですが、ランニング終了後の疲れが明らかになくなりました。走り終えてもすぐに息が整います。心肺機能が多少なり強化されたのでしょう。体重とかに関してはそんなにすぐに結果がでるものじゃないので、続けてみてどうなるかを楽しみにしたいです。

精神面に関してですが、走り終えたあとは謎の自己肯定感がうまれます。俺、生きてる!みたいな感じ。まあ死んだような生活してるのでこれくらいしか生きてる実感がえられないんですよね。そういう意味ではすごくよいです。長期的な面では体の見た目の変化と共に自信がつくのではないかと期待してます。

 

5、最後に

今までは何度か挫折してしまったので、今回とりあえず一週間は続いただけでも割と自信になった気がします。この記事に触発されて走る気になった方は教えてください。Nike run clubで友達になりなって高めあいましょう笑

偉い人

偉い人:自分に向かって生きている人

 

自分も例外ではなく多くの人は他人を向いて生きている。

他人からどう見られるかとか、他人と比べて自分がどうかとか。

全てでないのはもちろんだけどボランティアとかそういう人もいると思う。

ツイッターもその典型(というかふぁぼって機能はダイレクトにそれ)。

あと学歴とか、いわゆるキャリアも。((法的な)契約を有利にするためならまだいいと思うけど、Twitterで自慢するやつとか(俺か))

 

そういう生き方は結局他人と比べてしまって自分が不幸になる。

比較で勝つためには自分があるコミュニティ(広くなれば世界中で)トップにいないといけなくなる。でもそれはほとんどありえない。

 

偉い人は自分を向いている。(と僕は思う)

自分が正しいと思うか(もちろんこのためには自分に軸が必要。軸は経験と想像と対話で養われると思う)、

自分が成長できるか(自分が成長したことを他人にアピールする(マウントをとる)ためではなく)、

とかそういう風に考えて生きてる人。

 

そういう人は他人へ感じる罪はない。自分が自分を正しいと評価できるか否かということだから。

 

神という存在はそれができない多くの人にとって救いのある存在だ。

何が正しくて何が間違っているのかを明らかにしてくれるから。

そして自分が正しいかを評価してくれるから。

 

資本主義というのは競争だから(もちろん資本主義でなくても競争はあるが)、何も考えずに生きてると他人に向かう人生になりがちだ。

だからこそ神がある社会で根付いたのかもしれない。

でも日本人には神がいないから、偉い人になるには常に他人に向かないよう注意して生きなければならない。

 

そうなったらようやく大人になれるのかもな、なんて思ったのであります。