京大経済学部の履修とか単位とかについて
当方、今年度(H29)から二回生になります*1。
今年の履修登録を進めるうちに様々な後悔をしてしまったので、運よく(?)このサイトにたどり着いた新一回生向けにメモとして残しておきます。なお間違いなどがあるかもしれませんので、参考程度にとどめておいてください。
1.卒業に必要な単位
以下、英語を履修する前提とします。なお引用元はこちらです。
全学共通科目(語学以外)
人社群を14単位以上・自然群を8単位以上・他5群*2を6単位以上。これらに加えていづれかの群から4単位(①)。
※注意点
二回生では人社群である「外国文献研究(E科目)」を4単位分取らなくてはいけません。またE科目としてこれに加えて4単位を取ることになります。文系だとE科目は人社群から取ることになるでしょうから、一回生のうちに取るべき人社群の単位数は6単位になります。
自然群に関しては、一年前期の数学基礎Aは理系高校生が学習する内容なので楽単だと思います。上回生になると数3の知識は必要となるようなので、履修を強く推奨します。なお後期に関しては、教授によっては大変ハードなので、各々で履修を決めるのが良いと思います。
①に関しては講義の幅が広い他5群か人社から取ることがオススメです。なお自然群は理系向けが多く、文系の方が自然群から①を取ることはオススメしません。
全学共通科目(語学)
外国語群は24単位以上が必要です。
一回生では以下のものを履修します。
二回生では以下のものを履修します。
これらを合わせて24単位になります。*3
学部科目
必要単位数は84単位以上です。なお卒業論文は4年後期に6単位分として加算されます。また他学部が開講する他学部科目と経済学部が開講する法学部科目を合わせて20単位まで認められます。
2.モデル
3年前期までで単位を取り終える想定で、モデルとなる履修の仕方を提示します。
一回生の履修
- 人社群6単位(E科目なし)
- 自然群8単位(数学)
- 他5群6単位
- 外国語群16単位
- 経済学部科目20単位(入門科目・入門ゼミ)
二回生の履修
- 人社群8単位(外国文献研究・E科目)
- 他5群4単位
- 外国語群8単位
- 経済学部科目36単位
三回生の履修
- 経済学部科目28単位
3.終わりに
僕はまだ2回生なのでわかりませんが、ゼミが4回生まであると思うので、経済学部科目はもう少し緩めでとっても大丈夫かもしれません。
何か間違えやアドバイスなどありましたら、コメント欄にてお願いします。
外食についての考察
前回の投稿からだいぶ空いてしまいましたが、今回は外食について書いていこうと思います。先に断っておくと、この内容は"チラシの裏にでも書いてろよ"的な内容なので、時間がない人は読まない方がいいです。もっとも当ブログを読んでくださっている方々は何か有益な情報を求めているわけではないと思うので、そのような方にも遠慮せずこの記事を書きます。
時間の無駄を助長するような前置きはこれくらいにして本題に入りましょう。
人間が生きるには食事を取らないといけないわけですが、一人暮らしの場合は食事を作ってくれる人がいないので、当然のこと自分で作る必要があります*1。でもこれが結構面倒臭い。一時期はレシピ調べて作っていましたが、最近は"うどん・豚ばら肉・豆腐・納豆・もやし"をうまく組み合わせて適当な料理を完成させて食べています。これではもちろん飽きがきます。そこで外食をするわけです。つまり外食の意義とは"自炊が飽きを解消するため"ということになります。
一方で外食をすると金を使います。"豚ばらうどん"なら材料費でせいぜい100円程度ですが、ビックマックバーガーセットなら680円もしてしまいます*2。さらに外食といっても丸の内のOLのランチのような、健康志向の食事をするわけではありません。むしろ太ったアメリカ人が毎日食べてそうなジャンクフードを摂取するわけです。例えば、マクドナルドや二郎系ラーメンのような。だから栄養は偏ります。
したがって、これらをまとめると外食とは "お金と引き換えに、脂肪と瞬間的な欲求を解消するもの"だ、ということができます。
これだけ見ると外食とはなんて無駄なものなんだという感じがしてしまいますね。でもひたすら豆腐とうどんだけを食べていたら気が狂ってしまうでしょう。これまさに理屈と現実のずれという感じがします。理屈的に考えたら「脂肪(先進国においては有り余っていてなるべく摂取を控えた方がいいもの)をお金で買う、そして満たされるのは一時の欲望だけ」となれば外食は当然悪いものになります。でも外食をしないとQOLが下がる。その"QOLの低下"という曖昧なものを理屈にできないことがこのことの問題点なのでしょう。
こういう曖昧なものに対する評価基準をいかにしてつけるのか、ということに関しては非常に悩ましいです。"短期的に見れば友人が多いのは面倒臭いことだが、長期的には充足感を持てる"*3とか他にも様々な場面でこういった問題にぶち当たります。結局これに対する答えは出ていないので、誰か名案があったら教えてください。
コミュニケーションに関しての補足
前記事の補足です。
1.一般的な会話について
"一般的な会話においては適当に返答すればよい"と言及しましたが、コミュニケーション上級者(≠一般人)になると、どのように返答するのが良いのかを考えるのだと思います。例えば先ほどのツイートを例とするなら、
- 「洗濯物がよく乾きそうですね」→昨日は雨だったから助かる・(洗濯物を自分で干していると言うことは)一人暮らしなのか etc
- 「午後から雨が降るそうなんですよ」→午後は何か予定あるのか etc
- 「家の近くでは雨」→どこに住んでいるのか etc
とまあこんな感じで話が膨らみそうであることを予想します。この中から自分の持ちネタ ー例えば僕なら一人暮らしのことー に繋がりそうな言葉を返せば良いのです。自分が話しやすいネタにつなげていけば、意識せずとも相手を自分のペースに巻き込んで行けるし、相手に合わせなくていいから話すことも楽になるでしょう。
2.理屈と行動
理屈的にはこのように話していけばスムーズに進むのでしょうが、実際はそう上手くはいきません。"コミュ障である"と言う自覚そのものがコミュニケーションを妨げるからです。では理屈を実践するにはどのようにすべきかと言えば、それは行動するしかないのでしょう。始めは不安だったり緊張したりしても、やっていくうちに慣れることが重要なんだと思います。
ここに関しては自分も苦手なので、コミュ障の方々、一緒に頑張っていきましょう。
大局的な目を持つことでコミュ障を改善する
Twitterでこんな画像が出回っていました。
これを見た大半のコミュ障の方は、"おお、まさにこれだよ"と言いたくなったのではないでしょうか。ご多聞に洩れず、コミュ障の私も思わずそう思ってしまいました。
なぜコミュ障だとこのような思考になってしまうのでしょう。どうしたら一般人のような思考ができるのでしょうか。
その解決策の一つが、大局的に見る"目"を持つことだと思います。
先日こんなことがありました。近くのラーメン屋で並んでいると観光客と思われるおばちゃん達が並んでいる別の客(Aさんとします)に「このラーメン屋は美味しいのか」と聞きました。するとAさんは「ここのラーメンは家系で・・・」とボソボソと話し始めました。当然おばちゃん達は"家系"などと言われても理解できずにポカンとしていました。
おそらくAさんの頭の中では "美味しいのは当然だから、なんで美味しいのかを説明しなければならない" という考えが働いたのでしょう。しかしおばちゃん達が求めていたことは "京都に来たし何か食べよう" 程度でしかなく、ここのラーメンがなぜ美味しいのか、もっと言えばラーメンが実際に美味しいかどうかなど、実はどうでも良いのです。Aさんはそのことに気付かなかったから、いちいち説明を始めてしまったのです。
もうお分かりでしょうか。コミュ障というのは、おかしなほど分析的であるのに、一番重要な "相手が何を求めているか" という思考が欠如しているのです。
先ほどのツイートの例に戻りましょう。「今日はいい天気ですね」と言われたときどう返すのが適切でしょうか。もしそこが地学学会かなんかの議論中だったらその理由を説明する ー西高東低の気圧配置だから云々ー のが適切なのでしょう。ですが一般的な会話であったらそれはただ間を持たせるためのものでしかないわけですから、"適当に"返答しておけば良いのです。つまり洗濯物の話でも、午後の雨の話でも、家の近くの雨の話でもいいわけです。そこに何を言って相手がどう思うとか考える必要はないのです。
無論、一般人はそこまで考えるわけではないでしょうし、大局的にみて返答しているわけでもないでしょう。でももし自分がコミュ障だと思うなら、そのような思考を持つことで多少はまともな生活が送れるようになるのだと思います。
義務感とやる気
受験が終わってから数ヶ月経った7月ごろになって、突然受験勉強がしたくなってきました。受験中は勉強のやる気も起きなかったのになぜなのでしょうか。また最近では、中2・高1でそれぞれ切った*1科目である、日本史・世界史も猛烈に知りたくなってきました。中高生の頃は歴史=暗記だからつまらない、つらいと思っていましたが、今は無性に歴史が知りたいのです。
心変わりした一つ目の理由は、必要になったからだと思います。大学の勉強では英語は必須になりますし、むしろ最近では語学の壁が思考を邪魔する要因のようにさえ感じます。数学や歴史に関しては経済学を学ぶ上では不可欠です。
そしてより重要な二つ目の理由は、義務感から解放されたことだと思います。受験や定期テストと言った"こうしなければならない"という枠組みの中での勉強というのは、理屈では説明できないほどモチベーションが落ちるものです*2。枠組みの外で勉強することは自発的であるゆえに、おそらく楽しくかつ効率的なのだと思います。
これは何事にも言えそうです。義務感を基にした行動は、その中で楽しさを見出せずにいやいややっているうちは、何事もつまらなくなるでしょう。更に言えば、他人に奉仕した方が楽しいという自分みたいな人間にとっては余計そう感じます。"自分の能力の向上"みたいなことを喜びとできない、またはできても勉強の苦痛に釣り合わないからです。
しかし義務は義務でやらねばならないし、現実として今までやってきた"受験勉強"なり"テスト勉強"なりがなかったとしたら、今の僕はいないのでしょう。だから義務教育というものも必要なんだろうと思います。義務感を持たずして自発的に勉強することを、子供が自ら考えて行うことは難し位でしょう*3。だから義務教育を行う側である親なり教師なりがそのように導いていくべきです。塾講バイトでもそんなこと考えながら指導していきたいと思いました。